The First Daytona

ROLEX OYSTER COSMOGRAPH double Swiss reference 6239 is the origin of the legendary Daytona circa 1963 from the family of the original owner.

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売り物としては今のところ考えていないのですが、デイトナ初年度にあたる1963年製の通称「Le Mans(ル・マン)」が幸運にも先日私の元へやってきましたのでシェアします。今回の出所はなんとノース・カリフォルニアに住むオリジナルオーナーのご家族から。このデイトナは63年にお父さんが買って、頻繁に着用していたが80年代に外装部品が壊れたのをきっかけにそこから何十年もの間ずっと仕舞い込まれていました。数年前に亡くなられ、今年家族が持ち込んだ修理メーカーの修理技師からこのデイトナが一体何者なのか伝えられ、この度売却を決意したそうです。

ちょっと未だに信じられません。基本的にはマーケットで表立って売られることはありませんし、それが今回なんとオリジナルオーナーが買い手を募って、そして幸運にも私が手に入れることになったという。しかし実際に会うまでのハードルが非常に高かった。まず彼が事前に設けたルールが別格です。それは実際に物を見たい場合、先に100%支払いを終えていることが必須だということ。もし気にいらなかったら返金します、と。お店や業者、コレクターならまだしも普通に個人からの出物ですからね。こんな時勢ですから、これが詐欺事件に繋がるトラップであってもなんらおかしくありません。しかし今思えばそれは売り主も同じで、今世界的に多発している「取引きの現場まで行ったら時計を持ち去られた」というリスクを考えてのことだったのでしょう。

結果的に正真正銘のル・マンがそこにありました。しかも発売から今日までの60年間、どのような歩み方をしてきたかという全貌がはっきりしています。そんな個体に出会えることなんて手巻きデイトナではまずあり得ません。それもなんと今日まで続くデイトナ伝説の始まりのモデルとなれば尚更。これが私のコレクター人生におけるハイライトになってしまったような気がしています。


こんなことって本当にあるものなんですね。伝説のデイトナ「ル・マン」、それもワンオーナー物。勿論証明できる資料が揃って初めて成立するストーリーでもありますから、オリジナルオーナーが実際に当時腕に巻いている写真を今探してもらっています。

知らない方にも分かりやすくざっくり言うならば、これは「デイトナの元祖」にあたります。デイトナデビューイヤーである1963年にしか見られない特殊なディテールがいくつもあって、64年以降へと続いてゆくデイトナとは明らかに線引きされた存在であり、この63年だけはデイトナではなく「ル・マン」と呼ばれているんですね。

ダブルスイスのダイヤルと、入っていて良いとされるシリアル923番台のケースがマッチしているのは基本的なことで、問題なのは針一式とベゼル。特に長短針は通称「ルマン針」と呼ばれ64年までしか搭載されません。そしてベゼルも同様にルマン専用のベゼルとなるため、この2点が交換されていたらもうそれは他がどれだけ優れていてもパスせざる得ないんですね、マニア目線からすると。後からパーツ単体で手に入れるのは絶対に無理なので。

他にもケースバックや細かい部分だとムーブメントにもこの年式を象徴するチェックポイントがいくつかあるのですが、結局これは手巻きデイトナ全般に言えることなのですが他モデルよりもパーツが多いため当時そのままの仕様を網羅している個体というのは結構少ないです実際のところ。そして結局重要なところは皆話したがらないので調べても肝心なことは掲載されていなかったりするんです。そういう、他モデルにはないミステリアスさもまた頂点ならではのやり甲斐かもしれません。

何度も言いますがこれは本当に貴重な経験です。全く手が加えられた形跡の無い本当の意味でのオリジナルコンディション。というかプッシャー無いんかい(笑)。外装がこんな瀕死状態なのにダイヤルは綺麗というのもまた奇跡的なことですよね。

そしてオーナーご家族にこの日何度もしつこく言ったのが「付属品、本当に無いんですか?」。これは一度ちゃんと探さないと分からないが、買った当時はニューヨークに住んでいて、その後も数回引っ越しているから流石に無いんじゃないかとのこと。もしそこまで揃っていたらバトンを受け取るのは私ではなくオークションハウスの仕事になりますからねその域になると。しかし夢があります。

本来ビンテージウォッチというものは、その時計が何十年という歳月を一体どのような道を辿って今こうして自分の手元にあるのか、思いを馳せることもまた一つの醍醐味であると思います。しかし今回は想像の答えがはっきり明確になっていますからね。これはまた不思議な感覚です。あれだけ毛嫌いしていた傷などのダメージもこれはもうこういう「歴」とした勲章として見れるようになると言いますか。

いかがでしたでしょうか。売り物ではありませんのでただの自慢になってしまったかもしれませんが、長くやっていればこういうことも起こり得るからやっぱり特別なんです、この趣味は。そしてこの話には続きがあります。この時計を昨日インスタグラムのストーリーにポストしたら沢山のコレクターからリアクションがあって、その中で一人アメリカの友人から「もし今カリフォルニアにいて、その時計をより楽しみたかったら会ってほしい職人がいます」とアーティストを紹介してもらったんですね。これがまた狂っていた。この話はまた次回。